原付バイクで街駆け巡りナース 

訪問看護に転職したナースの日常ブログ。 こんなナースもいるんだと共感したり励みになって頂けたらと発信します。

リビング・ウィル始めました

先月、今月と看取りをさせて

いただく機会があり

色々と考えたことを引き続き綴っています。

 

先日お亡くなりになった方は

自分の意志で自宅に帰ることを選択し

食べれなくなっても点滴はしないと

先生にお断りをし

趣味であった盆栽をもう面倒見れないと

手放す段取りをされていた

 

最後まで自分がどうありたいか伝え

まさに自分の人生を生き抜いた

という感じでした

 

ご本人の意向がはっきりとされており

家族も色々想いはあるも

「お父さんがそう言うならそれでいいか」

と選択に迷ったりすることもなく

そっと寄り添っていました

 

こういうのがいいよね

自分で選択した人生を最期まで送りたい

そうであって欲しい

 

しかし、人生何があるか分かりません

突然事故に遭うかも知れない 

病で倒れるかも知れません

 

自分の意志で生きてきたのに

最期を人任せにしたくない

自分の望んでいない治療を

されてしまうのは避けたい

と看取りを通して

改めて考える機会となった

 

そんなわけで、

人生の最終段階における医療やケア

についての事前意思証明書と言われている

リビング・ウィル」を書いてみました

 

書いていると、今からどう暮らし

将来、自分が書いたリビング・ウィル

どう繋がるのか真剣に考えました

 

最期をどう迎えたいか考えることは

自分の人生を見直したり

今を大切にするきっかけになるの

ではないでしょうか

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認知症になったら終わり

認知症になったら終わり」なんて

昔は聞いたりしたフレーズで

今回はそんなタイトルですが

もちろん、認知症になったら終わり

なことは全くないです。

 

先日、関わらせていただいた

利用者様は認知症の終末期。

 

点滴はどうする?在宅酸素は導入する?

ご家族様は、最後の時期を理解され

覚悟していましたが

刻々と変化する状況に感情が揺れ動き

色々な選択を迫られた際

「どうしたらいいんだろう?」

と困惑する様子がありました。

 

どの家族であっても自然な反応だと思います。

 

もしそこに当人の意思が残されていたら?

家族は「お父さんが望んだことだもんね」と

選択に迫られずに最期まで本人の意思で生き抜くことをサポートできるでしょう。

 

認知症の終末期では「痛い」「嫌だ」

などの発語すら困難な場合もあり

本人の意思がそこにないことを改めて痛感。

 

本人が望んでもいない選択を

されてしまったら?

望んでもいないことがそこに意思がない

ことにより他者の決定権により

進められてしまうことがあるのです。

 

そうか、「認知症になったら終わり」

とはそう言うことか。

 

認知症で意思決定できない家族の

選択を支えるのが私達、医療者であるのだが

いずれ迎えるであろう認知症の終末期に備え

 認知症発症の初期の段階

まだ会話ができる内に

家族を交えて意思の確認を支援、

継続していくことが重要です。

ですが、まだまだこの点が不十分だなと

認知症の方の終末期に関わらせて

頂く中で感じます。

  

意思決定できない利用者様の

家族が色んなことの選択に迷っている時

 

「お父様(お母様)だったらどうするでしょうかね?喜びますかね?」と

問いかけたりしてみています。

 

本人、家族にとって選択が最善なもの

となるよう倫理などもっと勉強が必要だと

感じます。

 

そんなことを考えたここ数週間でした。

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認知症の終末期について考えた

今週は天気がよく、気持ちが良かったですね。

 

さて、大事な家族が認知症で段々と

寝たきりになり食事をできなくなった場合

あなたならどうするか。

考えてみたでしょうか?

 

私の場合「最期の時が来たな」

とまず思うでしょう。 

 

分かっていても最期を迎える

心の準備が足りない。

時間が欲しいと考えた場合

末梢点滴を最低限お願いしてしまう

かも知れない。

 

両親は延命処置は望んでいないので

苦痛がなければ何もせず自然に任せます。

 

この考えは私が看護師であること。

 

終末期に関わることが多い者として

 

食べれなくなった=(イコール)亡くなる時期が

近いから食べない 

 

最期の時に人は脱水や低栄養になっても

自身の脂肪を燃やしたり脳内の麻薬と

言われるβエンドルフィンやケトン体が増え

穏やかに鎮静、鎮痛することが

できて苦しまない

ということを「知っている」から。

 

これを知らないと「食べれないのは可哀想だ」

「何もしないなんて考えられない」

自然な経過だとしても具合が悪ければ

入院し高カロリーな点滴や、経管栄養を選択されてしまうことがある。

家族はこれが延命治療だと理解せずに延命処置となっている場合が見受けられます。

 

医療者が充分に説明していたとしても

最後は家族の想いが尊重される。

 

もちろん家族の意思を尊重するのは大事なのですが

待てよと。そこに本人の想いはどこへ行ったのか?

認知症の場合、終末期や色々な選択をする時に

本人の意思がそこにないのです。

 

ということを痛感させられたことが続きました。

次回へ続く。

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食事を食べれなくなったとき...

私はこれまで癌終末期の方に関わる機会が

とても多かったのです。

今回お看取りさせて頂いた方は認知症でした。

認知症の終末期より色々感じることが

ありました。

 

 

大切な家族が認知症になり、やがて食事が

食べれなくなった場合

あなたならどうしますか?

どう思いますか?

 

少し自分に問いかけて考えてみて下さい。

 

次回へ

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人間の一生はお花のように美しく。

先日94歳になった受け持ち利用者のタエさん。

エリザベス女王に似ていて。

私は密かに彼女をエリザベスと呼んでいる

のはさておき。

 

彼女が「この世で1番美しいものはお花だね」

とそんな話になった。

 

本当にそうだなぁと心底思う。

人間の人生もお花のように美しい。

 

人間は小さな種から、母から栄養や

家族から愛情をもらいすくすく育つ。

 

周りから沢山の知識やパワーをもらい

成長し、自らキレイに咲き誇る。

 

そして、ゆっくり枯れてこの世に

生きた証を残し終えていく。

 

穏やかに自然に最期を迎えるには

枯れることなのだが...

 

人間は、いや特に日本は

「可哀そう」「元気になって欲しい」

「もっと食べさせて長生きさせたい」

 

自分で食べることが出来なくなり

自然に枯れる段取りをしていく段階に

家族や医療者によって

高カロリー輸液や胃ろうが増設

経管栄養をされてしまうことがある。

 

認知症である高齢者の終末期に

多いように思います。

 

長生き大国ニッポン。

生かされてしまう国ニッポン。

こういう面は後進国なのかと

感じた1週間だったのです。

 

次回へ続く...

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その人らしい老化を知ろう。

同じ年齢でも、見た目や体力が違うなと感じたことありませんか?

同窓会などで、昔と全く変わらない方もいれば。

いい感じに歳を重ねた風貌の人がいるのは

よく聞く話ですよね。

これは年齢重ねるほどに、個人差があるなと

思います。

 

今日は、その方らしい年齢や老化を

知ることが大切だなと感じたお話です。

 

最近受け持った100歳の利用者さん。

先日退院され、ベッド上で寝たりきり。

全てに介助が必要な状態でした。

 

しかし、入院前は日中家族がお仕事の間は

ソファでテレビを観たり、食事をしたりして

1日を過ごしていたそうです。

 

肺炎を機に入院。

新型コロナウイルスによる院内感染防止

のため面会制限ありご家族は数ヶ月間

面会ができなかったそうです。

 

入院後しばらく経ち、老衰で予後は長くないでしょうと説明を受けたと。

 

ご家族は、これまでの利用者さんの状況から

現状が把握できず混乱したようでした。

 

自宅に戻ればもしかしたら元気になるのでは?

という想いで退院。

そして私たち訪問看護やヘルパーが

介入になったのです。

 

家族やケアマネさんからのお話では

100歳という高齢だから病院では安静に

されていた。

せん妄もあり、抑制されていた様です

とのお話でした。

その為に一気に筋力低下し、認知も進行した

ようでした。

入院生活は若い方でも体力が落ちるので

高齢者となれば覿面です。

 

入院中の実際はハッキリわかりませんが....

 

「加齢」は生まれてからの時間経過で、

歳を重ねることであり皆平等です。

「老化」は成長してからの身体におとずれる

機能低下ですが、生活習慣や環境で変わる

と言われています。

老化のスピードは個人差があるのですね。

 

100歳でも日中自立していた生活を

していたなら、もう少し離床をさせ

ることが必要だったのでしょう。

 

入院時に、その方各々の年齢・老化を知り

理解することが、退院後を見据えた

看護になるのです。

 

病院ではマンパワーから難しい面も

あるかと思いますが...

私が病棟で働いていた時、多忙で入院時

からこの視点を持った関わり来ていなかった

なぁと感じます。

 

 

利用者さんは退院してから、みるみる

反応が良くなり発語に活気が出てきて

います。

 

ぜひ、その人らしい年齢とは、老化はどうだろうかと考えて関わってみてください。

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来年も桜を見れるように。

いろんな所に住んだ経験がありますが

東京は街中に桜が多いなと感じます。

 

訪問看護師にとっては移動が楽しい季節です。

暖かくなって移動も楽ちん。

訪問途中でたくさん桜を見ることが

できました。

原付バイクでなので写真は取れない

けれど・・・

ウインクでシャッター押せたらいいのにな

とふと考えていました。

 

さて、この時期はあまり外出しない

利用者さんから「桜を見てきたよ」と報告を

受けたりします。

 

「桜を見るのは今年で最後かもしれない。

そう思って過ごしてもう10年も経ったわ」

と96歳の利用者さん。

 

桜が見れるまで頑張って生きる。

桜を見に歩けるようにリハビリ頑張る。

お母さんに桜を見せてあげたい。

 

看護師として働いていると「桜」を見る

ことを1つ目標に過ごす方に多く出会います。

 

寒く厳しい冬を乗り越えたら

一気に淡く咲き誇る桜。

美しくも力強い桜の姿にパワーをもらい

心に元気の花が咲くように感じるのでしょう。

 

桜にはたくさんスピリチュアルな意味や

魅力があると言われています。

 

そんな桜を来年も見れるように

在宅で変わらず過ごせるように

訪問看護師として支えていきたいです。

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