認知症の終末期について考えた
今週は天気がよく、気持ちが良かったですね。
さて、大事な家族が認知症で段々と
寝たきりになり食事をできなくなった場合
あなたならどうするか。
考えてみたでしょうか?
私の場合「最期の時が来たな」
とまず思うでしょう。
分かっていても最期を迎える
心の準備が足りない。
時間が欲しいと考えた場合
末梢点滴を最低限お願いしてしまう
かも知れない。
両親は延命処置は望んでいないので
苦痛がなければ何もせず自然に任せます。
この考えは私が看護師であること。
終末期に関わることが多い者として
食べれなくなった=(イコール)亡くなる時期が
近いから食べない
最期の時に人は脱水や低栄養になっても
自身の脂肪を燃やしたり脳内の麻薬と
言われるβエンドルフィンやケトン体が増え
穏やかに鎮静、鎮痛することが
できて苦しまない
ということを「知っている」から。
これを知らないと「食べれないのは可哀想だ」
「何もしないなんて考えられない」
自然な経過だとしても具合が悪ければ
入院し高カロリーな点滴や、経管栄養を選択されてしまうことがある。
家族はこれが延命治療だと理解せずに延命処置となっている場合が見受けられます。
医療者が充分に説明していたとしても
最後は家族の想いが尊重される。
もちろん家族の意思を尊重するのは大事なのですが
待てよと。そこに本人の想いはどこへ行ったのか?
認知症の場合、終末期や色々な選択をする時に
本人の意思がそこにないのです。
ということを痛感させられたことが続きました。
次回へ続く。