原付バイクで街駆け巡りナース 

訪問看護に転職したナースの日常ブログ。 こんなナースもいるんだと共感したり励みになって頂けたらと発信します。

認知症になったら終わり

認知症になったら終わり」なんて

昔は聞いたりしたフレーズで

今回はそんなタイトルですが

もちろん、認知症になったら終わり

なことは全くないです。

 

先日、関わらせていただいた

利用者様は認知症の終末期。

 

点滴はどうする?在宅酸素は導入する?

ご家族様は、最後の時期を理解され

覚悟していましたが

刻々と変化する状況に感情が揺れ動き

色々な選択を迫られた際

「どうしたらいいんだろう?」

と困惑する様子がありました。

 

どの家族であっても自然な反応だと思います。

 

もしそこに当人の意思が残されていたら?

家族は「お父さんが望んだことだもんね」と

選択に迫られずに最期まで本人の意思で生き抜くことをサポートできるでしょう。

 

認知症の終末期では「痛い」「嫌だ」

などの発語すら困難な場合もあり

本人の意思がそこにないことを改めて痛感。

 

本人が望んでもいない選択を

されてしまったら?

望んでもいないことがそこに意思がない

ことにより他者の決定権により

進められてしまうことがあるのです。

 

そうか、「認知症になったら終わり」

とはそう言うことか。

 

認知症で意思決定できない家族の

選択を支えるのが私達、医療者であるのだが

いずれ迎えるであろう認知症の終末期に備え

 認知症発症の初期の段階

まだ会話ができる内に

家族を交えて意思の確認を支援、

継続していくことが重要です。

ですが、まだまだこの点が不十分だなと

認知症の方の終末期に関わらせて

頂く中で感じます。

  

意思決定できない利用者様の

家族が色んなことの選択に迷っている時

 

「お父様(お母様)だったらどうするでしょうかね?喜びますかね?」と

問いかけたりしてみています。

 

本人、家族にとって選択が最善なもの

となるよう倫理などもっと勉強が必要だと

感じます。

 

そんなことを考えたここ数週間でした。

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